中国お財布事情 ~財布がカード入れに変わる日 

以前、ウェブサイトか何かで「中国人は財布をもってないらしい。」とかいう記事を見て、「さすがにそれはないわ。」と思っていたが、あながち嘘でもないのかもしれないと思っている。

というのも、最近、自分が、だんだん、そんな感じになってきたからである。

まあ、さすがに財布を持たないということはないが、財布を一度も使わない日は確実に増えたと思う。家に帰ってきたとき、よっこらしょと、小銭でパンパンにふくらんだ財布をとりだすたびに「これ、無駄じゃない?」と、思うこと、しばしばなのである。

写真:「向銭看」号、発見!!

中国お財布事情 ~財布がカード入れに変わる日

現金、使おうと思えば使えるが・・・

確かに最近、現金を使う機会が、ほとんどない。

スーパーとか食事は、当たり前にスマホ払い(ウィーチャット等)だし、さらに、電話代や光熱費、交通費、アルバイトの給与に至るまで、全部、スマホ払いになった。

逆に財布を使うのは、仕事で現金の授受があった時に、お金を出し入れするときに、銀行のATMのカードを使うとか、そのくらいだ。

もちろん、現金を使うことことが禁止されているわけではなく、使おうと思えば使えるのであるが、不思議なことに、なかなか現金を使わせてくれない。

例えば、スーパーに行けば、有人レジは長蛇の列ができている一方、現金が使えないセルフレジ(無人レジ)のほうは、比較的空いている。

ということであれば、どうしたって、セルフレジの方に足は向いてしまう。

あと、カウンターで、10元とか20元の小額紙幣を切らしていて、100元紙幣を出したりなんかすると、店員さんが「よっこらしょ」という感じで、レジから、おつりを出したりなんかすると「なんか、悪いなあ。」という気がしてしまい「次からは、スマホにしとこ。」となってしまう。

そうこうしているうちに、自分の体のほうが、スマホ払いのほうに順応してしまって、気がつけば、ウィーチャットで払ってしまっている自分がいる。とまあ、そんな感じである。

マクドナルド(麦当劳)のセルフレジ

というわけで、自分の財布は、今では、財布というよりは、カード入れみたいなものに成り下がってしまっている。そして、自分のポケットの中における、スマホと財布の地位も逆転してしまった感がある。

もちろん、スマホが、電源切れとか、アクシデントがあったときは、何もできなくなってしまうので、そういうときのために、携帯はしているし、中に、いくらかの紙幣は入れてある。

しかし、その紙幣すら、なかなかお世話になる機会がなく、万年、同じお札とコインが、財布の中で、眠っているという状態になりつつあるというのが現状なのである。

変わるレジの風景  偽札、おつりは、過去の概念に?

財布もそうであるが、今、中国では、いろいろな風景が変わろうとしている。

例えば、以前、中国のスーパーのレジなんかで、よく見られた、お札を透かすようにして、眺める店員の姿も、あまり見なくなった。

現金の流通自体が、少なくなっているので、偽札が入り込む余地もないから当然だが、そのうち、偽札という概念自体、なくなってしまうかもしれない。(まあ、それ自体は歓迎すべきことであるが・・・)

あと、おつり、という概念も、そのうち、限りなく過去のものに、なってしまうかもしれない。

中国のレジで、大きな大きなお札を出すと、決まって「1元ある?」とか「五角ある?」とか、毎回、うっとおしい位、聞かれたものだが、最近は、そんな中国のお釣りを少なくしようとするこだわり?も、自分の中では、過去の思い出に変わりつつある。

まあ、そんな変化が、ここ二、三年の間で、起こっているということだ。さすがに、現金自体が禁止されることはないだろうが、今の中国の変化の速さを見ていると、中国ならやりかねないんじゃないかと思わせてしまうところがある。それほどに、今の中国のキャッシュレスの流れは、早いのである。

シェアサイクル(共享单车)ofo」に、こんな細工が。

向銭看(しゃんちぇんかん)」は、銭の方をみる、つまり拝金主義のこと。もともと「向看(前の方を看る/前向きに考える)」であったが、「前(ちぇん)」と「銭(ちぇん)」が同音であることから転じて「向看」に転じたようだ。

ますます拝金主義が強まる最近の中国に対する、中国人自身の自嘲といったところだろうか。現金が、電子マネーに変わろうが、中国人のお金に対するあくなき追求は、やまないようである。

関係ないが、勇気のある人は乗ってみてほしい。(交差点で注目を浴びること、間違いなし。)

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