日本一時帰国2008年 Ⅱ  ~高円寺貧乏物語、カプセルホテル等

japan2008-tokyo (33)

 

高円寺純情商店街

以下、個人的な過去の感傷です。

高円寺貧乏物語

久しぶりに東京に来た、ひとつの目的に自分が以前過ごしていた、高円寺界隈によってみるということがあった。

中央線で新宿から四つ目にあるこの駅から歩いて10分くらいのところに自分の下宿があった。
当時、1990年代、四畳半風呂なし、25000円也に下宿を借りて生活をしていた私。
今となっては、まったく信じがたいような環境であったが、当時はまだ20代であったから
そんな環境にあえて身を投じる心の余裕がまだあった。

環七(かんなな)通り沿いに面する部屋は、大型トラックが通るたびに、小さな地震が発生するという環境で、上京して初めての夜は、「東京ってこんなうるさいとこばっかりか!?」と思いつつ、布団もなく寝袋で震えながら泊まったことを今でも思い出す。

ただ、いくら東京でも、そんなわけはなく、それから二年後のある日、何かの検査で、東京都の職員がやってきて、大家立会いの下、部屋の中の音量を測定したところ、都の基準値を超える数字だったらしく、職員が 「これ違法ですね。」とばっさり。japan2008-tokyo (25)夜の環七(かんなな)通り~大型トラックがひっきりなしに通る

要するに、自分は二年あまりも、違法建築の劣悪極まる環境に住まわされ続けていたことになる。

「やはりそうか」 横に突っ立っている大家のばあさんを、抗議のまなざしでにらむと、ばあさん、おろおろとしていた。(当時大家はもう70歳くらいのおばさんだったから、今どうしているのか。)
その後、窓枠は二重サッシに変えてもらい、おまけにクーラーまでつけてくれる始末。
かなり快適になったのは言うまでもない。というか失われた二年間を返してくれと言いたいが・・・・。

さて、この下宿であるが、安いだけあって、当然ながら風呂、洗濯機なし。トイレも共同。
従って、銭湯に入っている間に、服をコインランドリーにぶち込んで、風呂から上がったときに、それを取り込むという按配だったかと記憶している。
しかし家計が底をつき、その銭湯代(350円程度)も払えないとき
そんなときは近所にあったコインシャワーなるものを活用することにしていた。

コインシャワー。

ご存じない人もおられるかと思うが、家風呂がない人間のためのもので、100円を入れると5分間お湯が出るという、貧乏人にとっては真にありがたい設備のことである。このあたりは、風呂なしの下宿も結構あったのか、まだそういう施設があった。
確か、部屋数が5つばかりあって、扉を開けるとまず、脱衣所が、そしてさらにその奥にシャワールームがあるという按配だった。全部あわせても、畳一畳もないような激セマ空間である。

コインシャワーはとにかく時間との勝負である。
お湯が出るのは5分だから、時間配分を誤ってしまうととんでもない状況に陥ってしまう。シャンプーで頭を洗っているうちに、終了してしまうと、それこそ目も当てられない。また、部屋自体を使うのも15分間という制限がついていたように思う。

つまり「脱衣⇒シャワー⇒着衣」という作業を15分のうちにやってしまわなければならない。別に15分以上かかってもいいのだが、部屋の電気が切れるは、ドアのロックは解除されるわで、おちおち、着替えもできない。
例えていえば、サーカスで鎖をぐるぐる巻きにされた人間が、危機一髪で脱出するというまさにあれを地でいくような設定である。東京にいた数年間、特に夏場は、よくこれのお世話になった。

今回、そのコインシャワーがどうなっているのか?その当時のコインシャワーがあったと思われる場所へ行ってみた。

「確か、向かいにコインランドリーだったから、この辺りだったはず。」と、大体の場所を探してみたが見当たらない。さすがに採算が合わず、撤退したのかも知れない。japan2008-tokyo (26)コインシャワー跡地と思しき場所

また、自炊もたまにした。外食ばかりだとお金がもたないからである。丸正(これも別の名前になっていた)だったか、そういうスーパーに行って卵とニラを買ってきて、いためて食べたり、秋刀魚を買ってきて、大根おろしで食べたりした。
カレーライスも作った。肉がないときは、肉抜きのものを食べた。一度、野菜もなかったので、ルーだけのやつも食べたことがある。

給料日の直後でお金があるとき(といってもアルバイト代など高がしれているが・・・)は外食である。
当時の最高の贅沢といえば、新宿で松屋のぶた生姜焼き定食(550円)を食うか、桂花ラーメンを食うか、中野のバーガーキング(消滅)でワッパーのセットを食うか、環七沿いでラーメンを食うかぐらい。これが、当時の自分にとっては最高の贅沢。一食で1000円以上もするものなどとんでもない。700-800円するものでも手が出ない。650円がせいぜいだった。

眠れない夜が続くことがあった。そういう時は、コンビニである。
午前3時、4時、こんな時間帯に気軽に出入りできる場所というのは、コンビニくらいしかない。こういうとき、今のようにコンピュータがあったら、まだましだったのではないかという気がしないでもない。別に、コンビニに入ったからといって、何があるというわけではないが、家で悶々とした時間を過ごすよりはよかった。

しかし、あの頃、よくこんな生活をしていたよなあと思ってしまう。
すべてが、若さのなせる技という気がする。最低限の生活ができるだけの金銭を稼ぎ、できる限り自分のやりたいことをする時間を捻出した。実生活という現実よりも、未来の夢のほうに、まだまだ軸足を残していたのもこの頃である。

しかし、夢だけでは食えないということに気がつくには、そんなに時間はかからなかった。今より気力、体力ともに充実しているにもかかわらず、閉塞感、孤独感も、むしろ今より非常に大きかったような気がする。
1990年代後半、上京してすぐ、地下鉄サリン事件が起こり、東京を離れる頃、拓銀、山一證券破綻などの事件が起こった。バブル後の長期不況とはいえ、現在よりは、まだ日本経済にゆとりのある時代ではなかったかと思う。

相談する人間も、ほとんどいない中、次の一手が見出せなかった。
「どうすれば、この先、活路を見出しうるのか」そればかり考えていた。その後、就職雑誌で、海外で現地就職という手段があることを知る。

海外で働く

当時、海外居住はおろか、海外旅行すら行ったことはなかった自分。海外なんてところは、およそ自分とは縁がない場所であると思っていた。

【終了】

高円寺純情商店街など

高円寺というのは、駅を中心にして、純情商店街など五つか六つほどの商店街が取り巻いており、非常に地元商店街の結束が固く、大型の商業施設がほとんど無い街である。また夏は、東京阿波踊りが行われる街としても、紹介されることがある。

また、もう一つは、独特のセコハン文化があるということ。中野から吉祥寺にかけての中央沿線は七十年代からの流れからか、そういうサブカルチャー文化があるが、中でも高円寺は一番、そういう色が強く、貧乏人には有り難い街であったことは確か。

以下、少しだけ。

一歩入ればそこはインド」いつの間にか、隣に本物のインド人が経営するインド料理の店ができていたjapan2008-tokyo (27)

秋冬コレクション
japan2008-tokyo (28)

ひっぱりだこの前で、写真を撮っていたら、店主に声をかけられて、買わされるはめに。
また、なにやら怪しげな言葉をしゃべるタイ人と思われる男女5人組がいた。
「なぜにこんなところにタイ人?エスニック化もそこまできたのか。」と思わせたが、その翌々日が、日本とタイのサッカーのワールドカップ予選であった。彼らも大方、その応援に日本にやってきたのであろう。
japan2008-tokyo (29)

「鼻毛バリカン」「究極の爪きり」「ゴマすり器」といった怪しいネーミングのアイデアグッズで埋め尽くされた店内。japan2008-tokyo (30)
japan2008-tokyo (31)
「大陸」といえば、この界隈では知る人ぞしるという店ではないか。ガラス越しに眺めたのであるが、あの老夫婦は健在のようだ。あの低価格から言って、ほとんど道楽でやっているような印象だったがjapan2008-tokyo (32)

高円寺南口方面

「一人に親切な」?中央ゼミ
japan2008-tokyo (34)

ソフトバンク 確かここに、ガーリックトーストがうまい店があったはずなんだが、今回は、ソフトバンクの看板がやたらと目に付いた。これも時代の流れか。
japan2008-tokyo (35)

ビデオショップがなくなっていた。相変わらず、高円寺の店舗の入れ替わりは早い。
japan2008-tokyo (36)

丸の内線で新宿方面へ

高円寺を一通り見て回れたので、一応、満足して、新宿へ移動することに。久々に地下鉄の丸の内線に乗る。あのなんともいえない、もあっとした匂いをかぐと、丸の内線だという気がする。改札口のすぐ向こうに、電車が走っている光景も不思議といえば、不思議。
japan2008-tokyo (37)

西新宿 バーガーキングで休憩

ライトアップで華やぎのある、西新宿のある高層ビルの下。
japan2008-tokyo (39)

「お、あれはバーガーキングでは?」
バーガーキングといえば、マクドナルドに次ぐ、バーガーチェーン店であるが日本での知名度はいまひとつである。自分が東京にいた90年代に、一度進出したが、マクドナルドの安売り攻勢に敗北してか、一旦撤退した後、最近、復活を遂げたということは聞いていた。
japan2008-tokyo (40)
japan2008-tokyo (41)

セットが最低で760円。90年代当時より価格帯があがっているのは、高級バーガー路線を意識してだろうか?ちなみに、このバーガーキング、中国ではまだ上海など一部地域でしか食べることができない。
japan2008-tokyo (42)

ちなみに、現在では、バーガーキング(汉堡王)は、中国各都市に進出している。

上野のカプセルホテル

明日、実家のある関西方面に帰るとして、とりあえず東京に一泊しなければならない。
日本に来たら、一度、漫画喫茶も入ってみようかなとも思ったが(まだ一度も利用したことが無い)さすがに泊まるのはきつそうなので、結局、学生のとき、東京へ遊びに来る時、何度か利用していたカプセルホテルに泊まってみた。「ていうか、普通にホテル泊まれよ!」という気がしないでもないが、単に一人で寝るだけで、何かもったいない気がするのは、やはり貧乏性だろう。tube-hotel (1)

3600円、240元。男性専用。

しかし、このカプセルホテル、値段も十数年前と変わってないんじゃないだろうか。これで、前日、広州の空港近くで一泊したのとほぼ同じ値段。
tube-hotel (2)

フロントで、コインロッカーのキーを受け取り、荷物等を入れる。ロッカーに入りきらない荷物はフロントに預かってもらう。
tube-hotel (19)

食堂は無く、すべて自動販売機というのが日本らしい
tube-hotel (3)
tube-hotel (20)

五階から七階までがルームになっている。tube-hotel (21)

カプセルホテル全景。たて1メートル、横一メートル、奥行き2.2メートルくらいの、空間が上下二段で連なっている。畳一条の激セマ空間を最大限に活用するという、やはり日本人でしか思いつかない施設のような気がする。他の国では、そこまではしないだろう。omepage1.nifty.com/k-fukawa/capuseru/kapuserutop.htm#1tube-hotel (8)
上に行く時は、鉄製の手すりとはしごを使って登るが、かなり頑丈に出来ている。
tube-hotel (10)

中はとにかく狭い。本当に寝るだけのためにあるような空間である。自分のような体の大きな人間の場合、ちょっと体勢をかえようとして動いたら壁にひじをぶつけてドーンという大きな音を立ててしまう。

脇の時計を使えば、自分でアラームを設定することもできる。
tube-hotel (7)

前方にTVがついている。
tube-hotel (4)

しかし、鍵が無く、間仕切りがこれだけというのは、ちょっと不安な気がしないでもない。tube-hotel (6)

その後、風呂に入って寝ることに。風呂は下に大浴場がある。

とりあえず、東京中を歩き回ったので、疲れていたせいか、爆睡。

翌朝、遅めに起床。張り紙がやたら多いtube-hotel (9)

洗面所 シンプルであるが清潔tube-hotel (12)

tube-hotel (13)

トイレに張ってあった張り紙tube-hotel (14)

ロビーの様子。

TVでワイドショーがかかっていた。テーマは「暴走自転車について」学生とかが、携帯電話をみながら運転したりするので、TVレポーターがいかに危険であるかと訴えている。日本のワイドショーを久しぶりに見たような気がするが、相変わらず日本は平和だ。tube-hotel (16)

ロッカー室から外の様子tube-hotel (18)

出勤時間もが始まり、すでに街が動き出している。
tube-hotel (22)
パチンコ屋の前に行列が、こういうのも懐かしい風景だ。tube-hotel (23)

しかし、考えてみると、このカプセルホテル、方式が何かに似てるなと思ったが、中国のサウナと同じである。中国の場合、マッサージしてくれて同じような値段なのでもっと安いが(もちろん、泊まり(過夜)可能)結局、日本から台湾経由とかで、中国にも広まったのかもしれない。

 その他、関連する記事

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

CAPTCHA