代ゼミ

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代ゼミ京都校

最近、代ゼミが校舎を整理するという話がニュースになっているようだ。


大手予備校「代々木ゼミナール」を運営する学校法人高宮学園(東京・渋谷)は全国27カ所の校舎を7カ所に減らす方針を固めた。20カ所では2015年度以降の生徒募集をやめ、閉鎖する。施設は、グループの別の受験塾に転換することも検討する。代ゼミは大学受験の浪人生を主な対象に運営してきたが、少子化や現役志向の高まりで浪人生が減ったため、業績が悪化していた。 代ゼミとして存続させる校舎は(1)本部校代ゼミタワー(2)札幌校(3)新潟校(4)名古屋校(5)大阪南校(6)福岡校(7)造形学校(東京・渋谷)――の見通し。 …
代ゼミ、20校閉鎖 浪人生減で全国7校に :日本経済新聞

代ゼミといえば、以前、自分も、一時期過ごした思い出の場所であり、大変懐かしい。自分は、当時、まだ京都で暮らしていたのだが、できたての真新しい京都校に通っていた。時は、バブル華やかなりし頃、また第二次ベビーブームに差し掛かる頃で、浪人生がわんさかおり、代ゼミあるいは、その他大手予備校は、校舎を作りまくっていた。
ちょうど今と逆だったのだ。

京都校で250人、大阪校は500人教室が満杯になっていることもめずらしくなく、有名講師の授業では席のない学生がでて、教壇を机代わりにして勉強などということもあった。理論上は定員を越えるようなことはありえないのだが、いわゆる「もぐり」と呼ばれる生徒が出没し、水増しするのである。ある種のフリーダム状態だった。

また、バブル絶頂期だったこともあり、予備校側はおそらく、笑いが止まらなかったであろう。講師の給料も、普通の講師でも2000-3000万円もらっていたという話も聞いたことがある。

まあ、そういう時代だったわけです。

しかし、時代は移り変わり、大学全入時代となり、私立文系を中心とする浪人生は激減。代ゼミの存在意義もだんだんと薄れてきたということでしょう。妥当な判断だと思います。
代ゼミが予備校をたたむ時、ホテルに改造できるように、校舎を作っているんじゃないかということは、当時から言われていたことであったし、実際、校舎は他の予備校と異なり、かなり頑丈な造りだったです。

当時、確かに「講師の代ゼミ」といわれるだけ合って、講師はプロっぽい人が多かったと思う。科目ごとに確たる方針は感じられなかったが、講師各人がしのぎを削っているような印象があった。
古文の能勢先生、荻野先生、数学の宮崎先生、英語の中村稔先生。
理系科目は、やはり駿台とかに軍配が上がるかな。

ユニーク(を通り越している)な講師がたくさんいて、勉強以外の面でも色々と、刺激を受けること多かった。また、当時、大教室でやっている講師の先生でも、授業前後に、気さくに質問に答えてくれたりするので、超多忙な講師の迷惑も顧みず、結構、講師ルームに足を運んでいた。

ただ、難を言わせて貰えば、講師の語り口調につられて、あたかも、理解したつもり、勉強したつもりになってしまうという錯覚を起こさせてしまうという点では、予備校ナンバーワンでもあったと思う。
勉強というのは、やはり、自分で問題を解いて何ぼというところがある。また、単調な繰り返しの連続であることは言うまでもない。上手くいえないが、代ゼミには、そのあたりのフォローが全く抜け落ちていたといえるのではないか。いわゆるマスプロ教育の典型で、それが代ゼミの限界だったのだろう。それは、代ゼミのスローガン「日々是決戦」が「日々是集金」と揶揄されたほど商業主義的な方針とも関係する。要するに、生徒をお客さんとみなし、顧客が満足していればそれ以上は立ち入らない、というような感覚である。
自分自身、そのあたりの危険性に気がつくのが遅く、二学期、授業をしっかり受けているのに、問題が解けないというジレンマに陥って、ようやく気がつくという間抜けさであった。

まあ、そういったことを抜きにすれば、孤独で単調な生活ではあったが、リズム感のあるいい一年だった。朝、バスで烏丸六条に到着するや午前の授業を受講。お昼は、近くのローソンへ行くか、地下にある代ゼミの食堂でまずいカレーライスを食う。午後は、授業に出ない時は、自習室で勉強し、煮詰まった時は、隣にある東本願寺の境内で鳩に餌をやったりして、クールダウン。
大学に合格するという確固たる目標があるので、ある意味、やりやすかったのだ。もちろん、それは今だから言えることで、その頃はその頃で、見えないプレッシャーもあっただろうし、主観的にも「勉強ばかりで、なんと自分は、ついていないんだ!」と思っていたのかもしれないが、今から考えれば、なんと贅沢な毎日と思ってしまう。

しかし、当時の京都校の自習室は、校舎の規模の割りに激狭(50-60人程度)だった。席を確保するために並ばなければならず、整理券を受け取ると、やれやれ難民にならずにすむという感じだったが、あれは開放する教室すらないほど繁盛していたということだろうか?
それはいいとしても、当時、整理券を受け取るや否や、机にかばんを置いて自分の席を確保したきり、小一時間、戻ってこなくなる連中がいて、見れば、外で仲間同士だべっているようであったが、
要は席を確保したことで自己満足してしまい、席取り自体がイベント化してしまっているというアホな現象もおこっていた。
そういう「お前ら、いったい何しに来てんねん!」な奴らが多かったのも、代ゼミの特徴だったように思う。

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