シンガポール建国の父 リークワンユー

LeeKuanYew

先日、崩御されたリークアンユー氏ですが、生前「自分の家は取り潰してくれ!」という遺言を残していたようですね。また、生前も、自分の銅像をたてたりとか、そういう動きに対しては、かなり敏感で慎重であったとのことです。

つまり権力は腐るものであるということを見抜いていたわけです。そのあたり、リー氏が蒋介石の国民党が、中国内で腐敗していく様子を目の当たりにしていたからだとも言われております。

独裁国家といったところで、トップが、こういった賢人であれば、上手に回っていくということなんでしょう。その結果が、現在のシンガポールというわけです。逆に、国でも会社でもそうですが、トップがダメダメだと、どうしようもないです。




《老梁观世界》李光耀传奇150330 – YouTube(中国語)

リー・クアンユー – Wikipedia

客家系華僑の血をひく

LeeKuanYew (26)
彼は、自分のことを、マラヤ人といってますが、彼の曽祖父の出身は、広東省客家系で南洋華僑です。客家(ハッカ)といえば、台湾の「李登輝」氏、あるいは「鄧小平」氏もそうですね。客家系華人というのは、こういった有能な政治家が多い感じがします。
kejia
客家は、例の福建省の客家土楼(写真)で有名ですが、広東省には普通にいます。彼らは、職場・学校では普通話や日本語(又は英語)、友人とは広東語、家でおばあちゃんと話すときは客家語という風に使い分けるようです。まさに言語の達人です。

リークワンユーは、生涯、二度涙を流す

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リークワンユー氏が、人生で涙を流したのは、たった二度しかないといいます。

一度目は、母親が亡くなったとき。
二度目は、マレーシアから分離独立をはたしたとき。

一度目は当たり前ですが、二度目の理由が意外です。
リー氏は、もともとシンガポールを単体の国家として独立するつもりではなかったらしく、マレーシア連邦の一部として、存続させたかったようですね。でも、彼の人民行動党が、華人からの支持が大きく、マレーシアで第一党になろうとしていたということで、それを恐れたマレーシアの政治勢力によって、半強制的に、独立させられたというのが、本当のところのようです。
要するに、うれし涙ではなく、悔し涙、というところでしょうか。動画の中でも「不得已离开(離れざるを得ない)」と言っています。

空気以外すべて輸入

Singapore-Johorシンガポール側からマレーシアのジョホールバルを臨む
しかし、独立と言ったところで、いろいろな面で、困難な旅立ちだということは想像に難く有りません。というのも、シンガポールは、東京23区とほぼ同じくらいの面積(718.1平方キロ)しかなく、何の資源もなく、自らが呼吸をする空気以外、すべてを輸入しなければならなかったわけですから。

特に水は深刻で、ずっとマレーシアからの輸入に頼っている具合ですが、21世紀に入ってから、マレーシアから、100倍の値上げを迫られたこともあったりと、両国の関係は、結構、微妙です。
マレーシアとの国境に橋が架かっているのですが、その道の隣りにマレーシアからの水道管が通って(写真)いるのが見えますが、ここを止められたら終わりです。
ちなみに、シンガポールの水は、日本と同じ軟水で、しかもそのまま飲めるとは言われていますが、何か癖があって不味いので、自分は、ずっとミネラルウォーターを買ってました。

兵役義務も

もちろん、自前の軍も持たなければ、なりません。周りを、イスラムの大国に囲まれているわけですから、それは大変です。シンガポールは、兵役の義務があり、自衛隊に任せていればいいなんていう日本のような状況ではないのです。
自分の滞在中も、マンションの守衛が、数ヶ月、顔見ないことがあったりして、彼が戻ってきたときに「お前、最近、見なかったけど」というと「兵役に行ってた」というパターンがありました。ごく普通の男でしたが、

評価の高い外交手腕

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経済的な手腕とともに、評価が高いのが、外交手腕ですね。ちょうど、西側世界と中国の橋渡しの窓口のようになっていたようです。

西側側諸国からすれば、中国のような社会主義国家は、何を考えているのかわからず、どうアプローチしてよいかわからない。そこに、中国の歴代主席全部に会っている奴がいて、しかも、英語もペラペラ、英国式教育も受けているとくれば、引っ張りだこというのは、想像に難くありません。
LeeKuanYew (22) 毛沢東と
一方、中国からすれば、経済を解放するのはいいが、西側諸国のように、民主主義や宗教もセットで導入されてはかなわない。そこで、開発独裁国家のモデルケースとして、シンガポールは、実に都合がよかったわけです。
そういう、自国の立ち位置をよく理解してて、小回りの利く小国という立場を逆手にとって、上手く立ち回ったということなんでしょう。戦略家だと言われるわけです。

ルックイースト

singapore-takashimaya 高島屋シンガポール店
また、リー・クアンユー回顧録には、太平洋戦争中、日本軍に辛酸をなめさされたエピソードがかなりでてくるみたいですが、それにもかかわらず、その後はルックイーストで日本を見習い、日本型の産業発展をお手本にしたと。多分、個人主義が強い欧米諸国をそのまままねるるよりは、日本のモデルの方が、同じアジアだからしっくりくるということはあったのでしょうが、過去の個人的な感情を捨てても見習うべきところは見習うというのは、並みの人間では出来ることではありません。そのあたりが、リー氏の偉大さなんでしょう。
また、メインロードであるオーチャドには「高島屋」「伊勢丹」といった日本の百貨店がありますが、あの威風堂々とした高島屋は、日本人であれば、誇りに思うところでしょう。(大丸の方は、かなり昔に撤退したみたいですね)

反日感情について

ちなみにシンガポール滞在期間中、反日感情というのは、全く遭遇したことが有りませんし、対日感情は、むしろ、いいくらいでした。戦争記念碑の石碑に「許そう、しかし忘れない。Forgive, but Never Forget」というものがありますが、その精神が国民に浸透しているのかもしれません。このあたりは、香港などもそうですが、歴史的にはやはり反日感情はあるんだと思いますが、日本に対するリスペクトはあるということです。
中国大陸の場合はちょっと違ってきますが、でもこと個人レベルではよほどのことがない限り、反日感情というものに遭遇することは無いですし、少なくとも自分の10年近い中国生活中、一度もありませんでした。国家対国家になると、変わってくるということです。

犯罪には、外国人といえども厳罰をもって臨むシンガポール

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シンガポールが、犯罪に厳しいのは有名な話で「あれするな、これするな」とあまりに罰則が多いので、ファイン・シティという美名?を頂戴しているのは有名です。「ファイン(FINE)」というのが、「良い」というのと同時に「罰金」を意味するので、かけているというわけです。
また、麻薬等の犯罪については、厳罰を盛って臨むというのは、もはや有名な話ですが、厳しいのは、自国民にばかりでは有りません。
90年代、アメリカ人高校生がシンガポールで、赤スプレーで公用車にいたずらしたり、道路標識を盗んだということがあって、判決で、懲役4か月、罰金3500ドル、鞭打ち6回とのことですが。
その時、当時のクリントン大統領が「鞭打ちなんて野蛮な刑は聞いたことがない。クレイジーすぎる。それだけは免除してくれないか?(と言ったかどうかは知りませんが)」と嘆願したにも関わらず、リー氏は「うちにはうちの方針がある」と突っぱねたという。ただ、クリントン氏の面子をたてて、6回を4回に減刑したとのことですが。
singapore-fine 喫煙1000Sドル「FINE(罰金)」

バイリンガル教育(双語教育)

言語政策もユニークです。
いわゆるバイリンガル教育(双語教育)で、英語と中国語の二つの言葉の教育方針を打ち出します。彼自身が、華僑でありながらも、英国流の教育を受けたというところがあるのでしょうが、やはり当初は反対意見も多くあったといいます。

ちなみに、自分の中での印象ですが、シンガポーリアン(シンガポール人は自らのことをと呼ぶ)は、所詮、南洋華僑なので、華語(普通話、北京語のこと)は、二世以降の華人は、どうしても英語が主体になってしまうのか、中国語については、あまり上手ではない感じがします。
日本人とは逆で、一応、聞くことはできるけど、漢字を書くことが出来ないという人も多いみたいです。

こういった大胆な言語政策は、日本のような大国では、いろいろな意味で難しいでしょう。日本でも、英語を公用語にとかそういう話も、時々でてきますが、やめたほうがいいと思います。
まずは、一つの言語をじっくりやらないと、アイデンティティの希薄な人間を大量に生み出してしまい、バイリンガルどころか、下手するとノンリンガル(無言語)になってしまうリスクもあります。そうなった時、何より子供が一番不幸です。英語が出来れば国際人になれるわけでは無いと思います。
LeeKuanYew (2) 国葬の様子。

シングリッシュ

シンガポールでは、華人に対しては中国語が通じる場合もありますが、当時、中国語を使って用をたした覚えがほとんど有りません。基本的には、テキトー英語でした。
現地では、ングリッシュと呼ばれる、独特の訛りがある英語が話されており、その訛り方というのは半端なかったです。
以前、ローカルの保険屋が、会社に来て、30分くらいバリバリのシングリッシュでレクチャーしてくれたのはいいのですが、何を言っているのか、さっぱりわからず、お地蔵さんのように、固まっていたことを想いだします。
英語の達者な同僚に聞いてみたところ「私もあまりよくわからなかった。」といっていましたので、ほっとした記憶があります。あれが聞き取れる方は、逆に尊敬してしまいます。
シンガポール人自身も「シングリッシュ」と言う時は、半分、冗談にしているくらいです。

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