年を取ってきたせいか、他人から意見されることが、ほとんどなくなりました。
他人からあれこれ言われないので、不快感こそありませんが、一抹の寂しさはあります。また、良くないところがあっても、自分で気づかなければ、そのまま放置です。
この自分で気づくというのが、意外と難しかったりします。というのも、人間、自分自身のことが一番、よくわからなかったりするからです。
それでも、まだ仕事のあるうちは、他人という鏡がありますので、自己を客観化できるのでいいですが、今後、仕事がなくなり、社会との接点が全くなくなると、勘違い老人、一直線になってしまわないか心配です。
まあ、それはさておき、サービス業をやっていると、この自分で気づけるかどうかということは、結構、大事だと感じます。
といいますのも、経営に関しても、自分の場合、一人会社のフリーランス状態なので、誰も何もいってくれないからです。
「講師がいるんじゃないの?」というかもしれませんが、うちのような形態では、講師は非常勤ですので、基本的には何も言ってくれません。彼らは、授業時間が終わったら、さっさと帰るだけです。
まあ、しっかり授業はやってくれているので、それ自体は文句はないわけですが、それ以外のことは、自分が気づかなければならないわけです。
例えば、お客さんの授業に対する満足度ですが、まあ、大抵の場合、客の表情でなんとなくわかるので、いいのですが、中には、不満を感じていても何も言ってくれない客もいて、そういう人は、ぷいっと辞めてしまったりされるので、それではまずいわけです。
逆に、文句を言うタイプの客だと、その場は耳に痛いですが、対応しやすいところがあります。
また、授業内容以外の面でも、気をつけなければならないのは、中国人と日本人の感覚の差みたいなものが、かなりあるということです。
中国人というのは、日本人に比べて、音とか清潔感に寛容なところがあって、多少、部屋がうるさかったり、汚れていたりしても、気にならないようなところがあります。
長い髪が、床にいっぱい落ちていたり、マーカーのカスで真っ黒けになっていても、中国人講師は何もいってくれなかったりします。「あんたら、女やのに、何も気にならないの!」といいたくもなります。
そのあたり、もともと気にならないのか、気づいていても関知しないのかは、よくわかりませんが、まあ、彼らも授業で手一杯なので、そこまで気が回らないということなんだと思います。
というわけで、そういうことも含めて、自分が気づくしか無いわけです。
なんか、漠然とした話でしたが、要は、自分のやっていることを客観化できるかということなんだと思います。
といっても、そんなに大層なことではなく、日々のちょっとしたことなんですが、そういうものを見過ごしていると、積もり積もって、いつの間にか、大きな穴が空いていたりするので、案外、馬鹿にできないのです。
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