先週末、中国の大学入試センターテストにあたる「高考(ガオカオ)」が行われた模様。
受験者数は中国全土で942万人。中国は人口が多いので、受験者数も桁違いである。
中国の大学入試センターテスト 「高考(ガオカオ)」とは?
「普通高等学校招生全国统一考试」 通称 「高考(ガオカオ)」
現代の「科挙」とも呼ばれる、このテストは日本で言えば、大学入試センターテストにあたる試験で、毎年6月に実施される。(中国は9月入学)
中国の学生にとっては「一考定終生」といって、一回の試験によって自分の一生が決まってしまう、一生の一大事と言われる。
中国の場合、大学独自で入試試験というものがなく、高考の点数のみによって、入学できる大学が決まってしまう、文字通り、一発勝負なのである。
教科は、必修の「語(国語)・数(数学)・外(主に英語)」と選択科目で、文科と理科によって、選択科目は分かれるようである。志望先として、重点大学5つ、本科5つ、専科5つを申請しておいて、それらの大学の入学ラインに届けば入れるし、届かなければ、第二志望、第三志望に振り分けられるという、システムらしい。
高考_百度搜索 ニュース、試験問題、掲示板、写真 あらゆる情報が詰まってます。
中国全土で942万人が高考を受験
全国942万考生今日高考 深圳考生人数创-20150607正午30分-凤凰视频(中文)
動画によれば、中国全土で942万人が受験、広東省では約75万人(河南省についで、全国で第二位)、深センでは、3万8千人が受験したとのことで、中国は人口が多いので、受験者数も桁違いである。
とにかく、メディアの取り上げ方が、日本のセンターテストより圧倒的に大きい気がするし、「高考」と言う言葉に、中国人の独特の思いがあるようだ。たかがテストでは済まされない感じなのである。
それにしても、縁起をかつぐ為かもしれないが「紅い」チャイナドレスを着たお母さんが、子供を出迎えたり、生徒本人よりも、親(家長)のほうが、目立ってしまっているようだ。自分のことは自分でするのが当たり前の日本では、考えられないが、家族総ぐるみで、試験に取り組むというのが中国流なのかもしれない。
動画の中の「異地」受験というのは、何らかの理由で、自分の籍のある省で受験できない生徒が、広東省で受験できる制度のようである。出稼ぎの子弟に対するサービスかもしれない。
「全国巻」「広東巻」といっているのは、中国では、省ごとに異なる問題を使用しているからだろう。
あと、当日の交通も高考に対する配慮を行っていて、タクシーも受験生を試験会場まで無料で送り届けるサービスも行っているとのことだ。社会全体が、高考に対し、全面的にバックアップをしているようである。
高考後の記念撮影
新聞メディアも
また、以下の新聞メディアでも、試験当日、身分証を忘れ、警察に頼んで、家までとりに言った話とか、替え玉受験(替身)の嫌疑がある学生の話も載っている。その他、電子機器によるカンニング事件(作幣)は、携帯持込が全面的に禁止になっているようで、さすがに難しくなっているようである。
http://gzdaily.dayoo.com/html/2015-06/08/content_2942683.htm
广州日报 – 2015年6月8日 – A4:同学加油!版 – 旗袍妈妈团 迎子得胜归
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また上一期で前日の新聞、下一期で翌日の新聞へ移動可能。PDF状の新聞記事をクリックすると、該当する記事(HTML版)に移動します。また、音声による読み下し機能(语音阅读)もついているようです。
また、一発勝負という試験の性質上、試験で失敗したり、遅刻で入室を禁じられ、失望のあまり、自らの命を絶ってしまう人間もいるらしい。ただ、学校側は、そういうことを表に出さないので、ニュースとしては、表には出てこないらしいが・・・・・
高校四年生?
また、仮に、すべての志望先で点数が満たない場合、大学入学を断念するか、復読(浪人)するかということになる。
ちなみに、中国では、日本のように一浪、二浪という呼び方はなく、一浪は「高四」(ガオ・スー)つまり「高校四年生」と呼ぶのだそうである。この法則でいけば、二浪は「高五」、三浪は「高六」だが、中国人に聞いても分からないといっていた。
しかし、浪人しても、日本の予備校に当たるものがないらしく、復読生として、もとの学校の高校三年生の中に混じって、勉強しなくてはならないそうである。浪人と言うよりは、むしろ留年に近い感じであるが、復読生は高考の経験者として、後輩達からいろいろ質問を受ける存在になっているのだとか。
高考は貴重な青春の浪費ではないのか? 高考の掲示板より
ちなみに、ネット上での交流もさかんなようで、高考の掲示板なるものもある。
単に「この問題の解答を教えてくれ」的な虫のいいものから、自分の成績をさらして、志望校に届くかどうか?尋ねているもの。その他、「○○省のみんな、生きてるか?」「どの省の数学の問題が最強か?」「山東省の作文の問題が変態的」など、さまざまな掲示板がある。
中には「すでに三浪することに決めた」といっている掲示板の主もいたりして、それに対し「人生をあきらめたのか?」「貴重な青春の浪費ではないのか?」「大卒なんて、ゴロゴロいるご時勢に、浪人までして高学歴にこだわる必要があるのか?」などと、疑問を呈されたりしている。
こうなると、単なる試験を超えて人生相談の次元である。
今の日本の学生事情はどうかしらないが、やはり、中国においても、貴重な青春を、高考だけに費やすというのは、如何なものか?的な疑問は、常にあるようだ。現在の中国は、学生余り状態であり「大学は出たけれど」な学生の比率が、かなり高くなっているようである。そんな状況で、高考に人生をかけるということが逆にリスクになるのではないかというのは、当たり前である。ただ、現在の学生(90後?)の親世代が、自分たちが十分に教育を受けられなかったということもあるのか、子供には十分な教育を受けさせたいという、親世代の思惑もからんでいるのかもしれない。
私事になるが、自分自身を振り返ってみると、センターテストも受けたし、当時は当時なりに、大変だったことは確かであるが、努力した分、それが確実に点数となって報われるシステムというのはある意味、公平なシステムであったように思う。その点、その先にある現実社会は、あまりに長く、矛盾に満ち溢れており、努力が報われる保証もない。
今の学生には、眼の前の勉強に集中すること、それ自体はがんばるべきであるが(逆にそれすらできないようだと、何をやっても駄目だろう。余程、勉強嫌いなら別だが・・・・)今後、どんどん不透明さが増して行く時代においては、自分の生きる術(スベ)を持つことの方が、さらに大切であるといいたい。
一生、つきまとう、高考の点数
余談だが、先日、知り合いの中国人が海外旅行の為、ビザを申請する時に、仲介業者に高考の点数を聞かれたということである。中国の場合、日本と違って、まだビザの発給要件が厳しいので、財産証明とか、親の資産証明とか、うるさいことは知っているが、高考の点数を問われるというのは、いくらなんでもという気がする。
たとえば、日本人が、ビザが必要な国へ行く時に、仲介業者に、センターテストの点数を聞かれたとしたら、どうだろうか?
高考劇場 恋愛と受験の両立は難しい?
你是否愿意重回高考(もう一度、高考を受けたいか?)优酷网(中文)
大学生が、高考とは何だったのかを検証する、自主制作ドラマっぽいです。今の中国の学生気質がよく出てます。
本番前 がんばる現役生たち
高考に対する、学生へのインタビュー
大学生に、高考についてインタビュー
「高考は人生のひとつの節目」
「高考より前の約束を、決して信じてはいけない。」
恋愛と受験の両立は難しい? 高考劇場
擬人化された高考 父は科挙、1952年生まれ、数々の罪歴あり。
「高考」をやっつけろ!! 色気と酒とネットゲームの誘惑の三悪が、高考をとっちめようとするが・・・・・・
中国の高考というのは、どうも罪深き存在のようです。
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