「ちょっとは空気を読めよ」とか、「空気、読めないヤツ」とか、空気を読むというのは、日本では常識のように、まかり通っていますが、一歩、日本の外に出ると、必ずしもそうではありません。
いや、むしろ、空気を読む文化を持っている国というのは、少ないんじゃないでしょうか。
中国なんかは特にそうで、「空気が読めない」というより、もっと積極的に「空気なんか読まない」といったほうがいいかもしれません。
だいぶ前、「KY(空気(K)が読めない(Y))」という言葉が流行したことがありましたが(今、使われているかどうかは知りません)、そういう意味では、中国人は、ほぼ全員、KYにあたると思います。
そんな彼らに「空気読んでくれないかなあ」と期待などしたところで、イライラを募らせるばかりで、精神衛生上、極めて良くありません。なので、彼らに対しては、日本人的感覚からすれば「こんなにしつこくして大丈夫かなあ。」というくらい言って、ちょうどよいくらいなのではないかと思います。
ただ、誤解のないように言いますと、中国人が、全く気遣いがないかのように勘違いしてしまいますが、そうではなく、彼らには彼らなりの気遣いというものがあります。ただ、日本人的な、空気を読むという感じの気の使い方はできないというに過ぎません。
空気を読まない文化というのは、他人は空気を読んでくれない代わりに、自分のほうも、他人の空気を読まないでいいので、ある意味、楽です。
「こっちは、挨拶したのに、無視された」とか、「なんでそこ、タメ口?」とか、細かなことに悩む必要もありません。(そもそも、中国語には敬語が少ないです。)
その点、日本人というのは、他人との距離感を測る言葉がいっぱいあるし、面倒ですし
また、他人の空気を読みすぎると、その空気感という得体の知れないものに絡め取られて、意見が発しにくくなり、どんどん空気が重くなるという、特質を持っているように思います。
海外にでると、そういう空気文化というべきものがないので、ドライに感じる反面、結構、気軽になるという面もあるのではないかと思います。
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