中国でイマイチ、都会生活感が感じられない理由 ~「日本人村」と「社区」について

海外生活

深センは、公式の統計では、1700万人の人口があると言われています。ただ、実際、こちらに住んでいると、どうもそんな都会に住んでいるという感覚が持てません。

例えば、これが日本の東京や大阪みたいな都市に住んでいると、自宅から一歩出れば、もう誰が誰ともわからないような感じだし、住んでいる場所でも過度に干渉されることはないと思います。要するに、都会生活とはそういうものだと思うのですが、こちらの生活では、そういう都会感が感じられないのです。

中国でイマイチ、都会生活感が感じられない理由

いわゆる「日本人村」について

この、中国でイマイチ都会生活感が感じられない理由のひとつは、こちらに住んでいる日本人の数が少ないということは有ると思います。

コロナ以降は、日本人の数も少なくなり、深セン全体でも、多分1万人はいないと思います(自分の感覚ですが)。自分がいる羅湖という生活圏内だけだと、もっと少ないので、もはや、村みたいな感じです。

お客さんと世間話をしていて、別の人の話をしていると、「ああ、その人、知ってるわ。」みたいなことになることもよくあります。

要は、これが、いわゆる日本人村といわれるもので、海外では宿命みたいなものですが、それが心地よい人もいれば、合わない人もいると思います。

ただ、好む好まざるにかかわらず、海外在住者は、ある程度は、この日本人村と付き合っていかなければならないわけです。

「社区」「小区」について

都会生活感が感じられないもうひとつの理由は、中国の「社区」「小区」といわれる単位です。

中国というのは、市の下に、区、街道、社区、小区というふうに、大から小へと管轄地域があって、さらにビルごとに管理されています。

そして、ビルは一つの村みたいになっており、よくは知りませんが、住民と管理側は、だいたい顔見知りのようで、保安員(ばおあん)とかが住民と、日常的に親しげに言葉を交わしている風景を見かけると思います。なので、なにか、村の中で暮らしているような空気感があります。

自分もまた例外ではなく、彼らとはあまり話をすることはありませんが、マンション内は外国人は少ないので、なんとなく面が割れてしまっているようです。

そして、今回のコロナ禍で、この社区、小区ごとに、封鎖とかPCR検査をしたので、余計に顔が割れてしまった感じがします。

 

ちなみに、中国人はなんでもそうですが、関係(ぐゎんし)というものでつながっていて、管理員でも、店員でも、よく会う人間は、顔を覚えているようなところがあります。

日本でコンビニの店員に、なにか話しかけられるということは、皆無だと思いますが、中国では、よく同じ店に通っていると「最近、お前、あまり見かけへんかったな」とか、話しかけてくるような雰囲気があります。

これも、中国で都会感を感じにくいところかなとも思っています。あまり、孤独にさせてもらえないというか。

都会感と孤独はセット?

以上、中国でイマイチ、都会生活感が感じられない理由に、「日本人村」や「社区」などの村感覚に原因があるのではないかという、自分の個人的見解でした。

やはり、都会生活というのは、孤独とセットになっていると思うのですが、こちらにはそういう感覚がないと感じます。

コメント